2025年 8月25日 ジャカルタのデモ騒動について

旅人の皆さんこんにちは。

いつもなら新しく見つけたカフェの話をしているところですが、今回は少し違います。8月25日から続いてるインドネシア、ジャカルタで発生した現政権への抗議デモ。偶然私はジャカルタに滞在していろんな体験をしたので記録として書き残していきたいと思います。私の拙い文章で誤解を生むかもしれないので先に注意。この記事は政治的な立場を取るつもりはありません。

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最初は「いつものデモ」だと思っていた

8月25日、国会議員の住宅手当に対する抗議デモが始まったとき、正直なところ「また始まった」程度の認識でした。月額5000万ルピア(約45万円)という手当が、ジャカルタの最低賃金の約10倍だということは知っていましたが、インドネシアでは時々こうしたデモが起きるのが日常でした。

最初の数日間は、国会前での衝突があっても「いつものパターン」に見えました。私も普段通りの生活を送っていたんです。

全てを変えた悲劇の夜

8月28日の夜8時頃、状況は一変しました。

21歳のAffan Kurniawanさんという若いデリバリードライバーが、警察の装甲車に轢かれて亡くなったのです。彼はデモに参加していたわけではなく、GojekとGrabの配達中でした。本当に悲しい事故でした。

その夜、ニュースで事故の事実を知ったとき、一人の若者の命が失われ、ご家族の悲しみを思うと、言葉になりませんでした。

この事件をきっかけに政府に溜まっていた不安が爆発して暴動に発展しました。日本でも各メディアが報じ、私のところにも日本人の友人から心配の声がいくつか寄せられました。このようなところで友人の温かさを知りましたね。

交通インフラが麻痺した混乱の日々

翌29日から状況は深刻化しました。TransJakartaのバス停7カ所が燃やされ、22の停留所が破壊される事態に。MRTのIstora Mandiri駅も被害を受けました。

普段使っている交通機関が使えなくなり、移動ルートの大幅な変更を余儀なくされました。特にMRTについては、日本の技術支援とJICAの協力で建設された両国友好の象徴でもあります。破壊された駅を見たとき、一人の日本人として、とても悲しい気持ちになったのを正直に認めます。毎日これらを利用している一般市民への影響を目の当たりにして、複雑な気持ちになったのを覚えています。

Google MapsのSS
デモが激しい時の幹線道路封鎖

SNSに飛び交う情報の混乱

この期間、WhatsAppやTelegramには様々な情報が飛び交いました。「あれは市民の仕業じゃない」「仕組まれたデモだ」という話も多く見かけましたが、根拠のはっきりしないものがほとんどでした。

実際、インドネシア社会科学院の調査によると、「政府はイスラム指導者を犯罪者扱いしている」という情報を信じる割合は、中卒以下で55%、大卒で41%、大学院卒で68%という結果が出ています。皮肉なことに、高学歴者の方が根拠の薄い情報に影響されやすいという現実があるようです。

以下の本で取り上げてるのでよければ読んでみるとインドネシアに対しての解像度が上がると思います。

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学歴に関係なく、私たち一人一人が情報を冷静に検証し、感情に流されずに判断することの大切さを、この1週間で痛感しました。過激な思想に染まることは、結果的に社会全体を不安定にしてしまいます。

犯罪行為が正当化される違和感

さらに困惑したのは、議員宅の襲撃や略奪行為が、一部のSNSで「正義」として語られていたことです。財務大臣や複数の議員の家が襲われ、財産が略奪される映像を見ながら、それを支持するコメントが溢れていました。

一外国人として率直に言えば、これは単なる犯罪行為です。どれほど議員への怒りがあったとしても、個人の家を襲い、財産を奪うことが正当化されるはずがありません。宗教指導者の方々も「怒りの表現であっても、略奪や窃盗は宗教的にも法的にも許されない」と明確に批判されていました。

魔女狩りのような雰囲気に、正直、恐怖を感じました。今回は議員が標的でしたが、このような「集団による私的制裁」が容認される社会は、誰にとっても安全ではないと思います。

平和的解決への願い

一外国人として、この1週間で確信したことがあります。暴動は決して何も解決しない、ということです。

壊されたバス停は再建されますが、失われた命は戻りません。深まった対立の溝は、さらに修復困難になってしまいます。最も困るのは、毎日公共交通機関を使って働いている一般の市民の方々なんです。

そして、暴力的な抗議は、かえって他国にインドネシアを「危険な国」として認識させてしまいます。投資家が離れ、観光客が減り、最終的に経済的な損失を被るのも、結局は一般の国民です。

インドネシアは1998年のReformasi以来、民主主義を発展させてきました。いま直面する経済格差の課題も、建設的な対話を通じて解決への道を開いていけると信じます。

市民の怒りは正当だと思います。でも、その怒りが破壊ではなく、建設的な変化につながることを心から願っています。Affan君のような悲劇を二度と繰り返さないために、誰もが安心して生活できる社会になることを祈っています。


最後に、日本の読者の皆さんにお伝えしたいことがあります。

この1週間の混乱した出来事だけを見て、インドネシアという国やインドネシア人について誤解を持っていただきたくありません。普段の生活で出会うインドネシアの人々は、本当に温厚で笑顔あふれる素晴らしい方ばかりです。困っている人を見かけると必ず声をかけてくれる優しさがあり、家族や友人を大切にする温かい心を持っています。

インドネシアは多様性に満ちた美しい国で、豊かな文化と自然に恵まれています。今回のような混乱は決して日常ではありませんし、インドネシア人の本質でもありません。多くの市民の方々も、平和的な解決を望んでいることを、現地で生活する者として実感しています。

重いトピックでしたが、記録として残させていただきました。普段のカフェ巡り記事とは全く違いますが、読んでくださった皆さんに感謝します。一日も早く、笑顔あふれる平和なジャカルタに戻ることを心から願っています。